『置き薬』の歴史

参照:http://www.koukandou.co.jp/ayumi/

置き薬の歴史は、今から300年前、江戸時代にまで遡ります。発祥の地は富山藩、そのときの大名は前田正甫という人物でした。正甫公は、2002年の大河ドラマ『利家とまつ』の主人公利家のひ孫にあたります。

正甫公は、以前腹痛を起こしたとき、室町時代から伝わる「反魂丹」という薬が大変よく効いたことから、その薬を印籠に入れていつも携帯していました。印籠というのは、水戸黄門でおなじみですね。あの印籠は、元々薬などを持ち運ぶためのものなのですね。

元禄3年(1690年)、正甫公が参勤交代で江戸城にきていたとき、城内において、三春藩(現在の福島県中央部)の藩主が腹痛で苦しむのを見かけました。正甫公は、すかさず印籠から「反魂丹」を取り出し、その藩主に飲ませたところ、たちどころに痛みが治りました。これを見ていた各地の藩主たちが、ぜひとも自分たちの領内においても「反魂丹」を広めてほしいと頼んだということです。

そこで、正甫公は、城下で「反魂丹」をつくらせました。そして、八重崎屋源六という商人に命じて、諸国に行商に行かせました。そのとき、各地に薬を配置し、毎年定期的に巡回して、服用した分だけ代金を受け取ることにしました。まさに、現在も続いている「先用後利」の始まりですね。これは、正甫公の精神だったといいます。その後、源六は、身体が丈夫で、品行方正な者を選んで、諸国に派遣し、富山の薬を全国すみずみまで広めていきました。

こうして、置き薬は、江戸時代を通じて、富山藩の一大事業になりました。置き薬のおかげで、幕末になっても富山藩の財政が赤字になることはなかったと言います。

 

また、置き薬は、奈良でも始まりました。奈良には、仏教伝来とともに、中国から薬の知識が伝えられ、それは代々受け継がれていました。そして、富山藩の約50年後に、奈良においても「置き薬」という形態の商いが始まったといいます。

 

ちなみに、教科書にも登場する人物で、全国に薬を売って歩いた人物がいます。それは、後に新選組副長となる土方歳三です。土方は、農業を営むかたわら、「石田散薬」という痛み止めの薬をつくり、売り歩いていたのです。

 

参照:『置き薬が社会のためにできること』~置き薬ハンドブック~

置き薬ハンドブック製作委員会 2014年 74~75頁より